おしまい

2007年2月22日
低脳アンチを装ってはいるけれど自分の該博な見識を相手に伝えたくてたまらない娑婆っ気が所々で見え隠れする7時48分は、その2時間後にようやく約4半世紀前までやってきたという感じですが、そこから現在に至るまでに(つまりバルト以降)「書くということ」において何が問題とされたのかについて意識したスタンスに基づいたものでない限り、まあ俺は読まなくてもええやろ、って思いました(ああそれと、これはレスの中で指摘しておきましたが、主要な著作の全てと「思考集成」の半分くらいは一通り読んでいる程度にあのフランスのゲイ・セクシュアルのことが大好きなCYCさんの中の人は、自分の書く記事のなかで、彼や彼に関するタームは意図的に出していません。それらを出した途端、曲りなりとも自分がとってきたDOLBlogという体裁が一気に崩れてしまうだろうということは容易に想像できますから。そのフーコーを槍玉に挙げた時点で、「ああ、この人のはその程度なんだな」と失望させられたのは仕方の無いことでしょう・・・)。

じゃあCYCはその問題について意識的であったのか、といえばこれまた中途半端にやってきたとしか言えず、ようするに模擬LOGの垂れ流しとも大差が無い、というのが自己批判ですね。告白しちゃうとね。

個人的な前提としては「MMOBlogである以上、それに関したものでなければならない」といったところでしょうか。ごく例外的に関係の無い話を書いてしまっていた辺り、徹底しきれていなかったなと本当に恥ずかしく思うわけで。ここ数日の記事にしても、それらが関係のある部分から発していたにせよ、もはや逸脱しすぎたという感があります。

つりどんとは個人的に専門的な話をしたいという気が少々ありますがwまあそれはDOLBlog間のやり取りでは無理な話。ここで出来るのはせいぜいキーワードを用いた言葉遊びまででしょう。完全に消化した上でDOLBlogの資格の元に文章を書くには私はまだまだ力不足ですから(でも、つりどんさんは出来るかもしれない!)。[(特に、いわゆる広義の学問における)専門的な言語・書式は部外者に対して言語的劣等感を掻き立てると同時に内部にいる者の拙さを隠すためのものでしかないのではないか、というのはCYCの中の人の私的な愚痴。まあ、それらの本来あるべき場というものは、その使用に関する責任が徹底的に問われるだけ、Weblogよりもはるかに健全(そして同じくらい無意味)だとは思います。]

さて、最後の仕上げとして、王の王たる最大の権利を行使するとしようか!


「こうして悪い人はいなくなり、村には平和が訪れました。村人達はいつまでも、時折悪い人のうわさをするのでした。それぞれの話のなかで、彼は10メートルもの大男になったり、豆粒ほどの小さな虫になったりするのでした」(『おばあさんたちの村』)

コメント

Cyc

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